海岸防災林の再生

未来への想いとFFCが、
津波で傷ついた海岸に
“希望の松林”を再生させる

東北地方を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災から6年。被災地では、いまもなおその爪痕が残されている。今回は震災の津波によって消滅した海岸防災林の再生に尽力するひとりのフィランソ会員の想いに迫る。

FFCノンフィクションvol.7 「海岸防災林の再生」(宮城県名取市)

2017年10月発刊『BOSCO 20号』掲載


2,300本の植樹で、枯れた苗は7本のみ。
FFCエースが驚きの定植率を実現した。

防波堤から空を見上げると、着陸態勢に入る旅客機が見えた。仙台空港を擁し、仙台湾に面した豊かな自然や東北最大級の史跡「雷神山古墳」で知られる宮城県名取市。この街も東日本大震災による津波で大きな被害を受けた。

「震災前、この海沿いは見渡すかぎり美しい天然の松林でした。それが津波でほとんど消滅してしまったんです」と語るのは樹木医であり地元で造園業・園芸店を営むフィランソ会員の田中秀穂さんだ。

天然の松林は美しい景観だけでなく、冷害をもたらす季節風『やませ』を防ぎ、高潮や塩害をもたらす飛砂や飛塩の盾になる「海岸防災林」としても重要な役割を担っていた。そのため震災後、地元の人々にとって松の海岸防災林の消滅は、日常生活に直結する切実な問題になっていたのだ。

田中さんが提案した海岸防災林の緑化再生プランは、第25回「緑の環境デザイン賞」で 国土交通大臣賞を受賞するなど高く評価された。

いま、海岸沿いに築かれた長いコンクリートの防波堤に沿った内側に高さ1メートルほどに育った松の木が延々と定植されている。

故郷のため、自分にできることはないか。そう考えた田中さんは自身の仕事である造園・緑化事業で松林再生に取り組む決意をする。

「ガレキの除去などからはじめ、その後に行ったのが仙台市の森林管理局から預かった1ヘクタールの土地にクロマツを植えるボランティア活動です。静岡県浜松市から取り寄せた4,200本の松の苗木を植樹、育成したんです」

その後、林野庁が公募した植林事業にも参加し、500本のクロマツを植えた田中さん。2015年には海岸防災ボランティア区域として林野庁から1.5ヘクタールの海岸植栽地を預かった。そこに京都御所から譲り受けた種から育てた1万4,000本のクロマツの植樹を行うことになったのだ。

植樹祭後に立てられた看板には『Future(理想的な)、Forest(森創り)、Community(想いをひとつにして)』で『FFC』と記されている。

FFCだからなし得た驚きの平均枯損率!

田中さんのこうした献身的な取り組みを知り、心を動かされたフィランソ会員たちも活動のサポートに動き出す。同年9月に、全国から集まった約110名のフィランソ会員によって「東日本大震災復興植樹祭」が開催されたのだ。

海岸沿いに広がる約3,500平方メートルの植栽地には土壌改質材『FFCエース』が肥料とともに散布され、そこに2,300本のクロマツの苗木が植樹された。

ここに驚きのデータがある。海岸沿いの植栽には飛砂や飛塩などの障害が多く、林野庁の調査では定植後3カ月の平均枯損率(枯れる割合)は約20%とされている。ところが、FFCエースを散布後に植樹した2,300本のクロマツで、3カ月後に枯れたのはわずか7本、平均枯損率は0.3%という驚異的なものだったという。

「最近は苗木自体も枯れにくくなってはいます。でも苗床で育てた苗木を荒れた土地に植え替えるのですから、土質は非常に重要。そこにはFFC処理した水やFFCエースの活用で成長に違いが生まれていると言えます。データよりも周囲との比較で一目瞭然ですよ」

そして2年後の2017年。会員たちの手によって1本1本、復興への願いを込めて植えられたクロマツの苗木は、周囲からひときわ目立つほど順調に育っている。その姿からは“故郷を守る美しき自然の杜”の再生という未来を見据えた大きな希望がうかがえる。

植樹されるクロマツの苗木。

2015年9月18日に多くのフィランソ会員の皆様によって行われた「東日本大震災復興植樹祭」

植樹祭直後の苗木の様子。FFCエースが散布された土が苗木に力を与える。

植樹祭で苗木を植え込むフィランソ会員の皆様。

自分が植えた松が街を守っている―。
子どもたちに伝えたい“誇り”という財産。

未来を担う子どもたちにいま、伝えたいこと

田中さんはクロマツの植樹を通じて、もうひとつの貴重な取り組みを続けている。それは未来を担う子どもたちへの“呼びかけ”だ。

「この植樹活動には地域の子どもたちにも何らかの形で参加してもらおうと。そこから自分たちの未来のこと、自然環境のことなどを学んでほしいと考えたんです」そこで地元の小学校に苗床となるポットを預け、子どもたちに植樹するクロマツの苗木栽培をしてもらうことにしたのだ。

もちろん田中さん自ら教室に足を運んで育て方などを指導する。

「子どもたちに『松の苗の母親になってくれませんか』『赤ちゃん苗を元気に育てるために力を貸してください』ってね」
「あなたたちがしていることは、地元の人みんなのためになる」という田中さんの話を聞き、子どもたちも進んで苗木栽培に参加してくれているという。

「いまの子どもたちにとって、身近なことで人のため、世の中のために何かをするという機会が減っているんですよ。でも子どもは子どもなりに「何かしたい」と思っているんですね」

苗木栽培を託される。それは子どもたちの想いを形にできる貴重な取り組みでもあるのだろう。

また、高校生になる田中さんのお孫さんも、夏休みには植栽地の草取りなどを率先して手伝ってくれる。それが心強いと田中さん。お孫さんもまた、「自分も何かをしたい」という想いを胸に秘めた未来の担い手のひとりなのだ。

FFCテクノロジーのサポートもあって驚くほど健やかに成長しているクロマツの世話をする田中さん。

想いが1,000年続きますように

名取市をはじめ、宮城県の海岸では八千億円以上の予算をかけて巨大なコンクリートの防波堤をつくり始めている。もちろん、それも重要な復興活動の形だろう。

でも田中さんは言う。

「コンクリートの堤防は持って100年くらい。いつかは壊れてしまう。でも子どもたちが苗木を育て、地元の人やフィランソ会員の方々をはじめとする多くのボランティアの人たちが想いを込めて植えたクロマツの防災林は、しっかり地に根を張って何百年も、1,000年も生き続けていくんです」

子どもたちが一生懸命に、小さな手を泥まみれにして育てた苗木が、“希望の松林”の礎になる。

子どもたちは、自分が育てたクロマツの苗木がこの地に植えられ、やがて何十年、何百年先に多くの人の命を守る林になることを、きっと誇りに思うに違いない。

自然を、命を、ふるさとをずっと守りたい―。みんなのその想いが1,000年続きますように。そう思いながら再び見上げると、未来へ羽ばたく鳥のように、旅客機が空高く飛び立っていった。

海岸の植栽地は仙台空港にほど近く、クロマツの向こうには飛行機の姿が。

葉の長さや大きさを見れば松の力がわかると田中さん。右手の葉は一般的な松のもので、左手はFFCの水とFFCエースで育てた松葉。葉の生育にも差が生まれている。

植樹される土にはFFCエースと肥料を混ぜたものが散布された。

根元には会員の皆様が想いを記したプレートが。

子どもたちには、将来「ここは私が育てた松林なんだよ」と誇りに思ってほしいと田中さん。


撮影/野呂英成 取材・文/柳沢敬法