赤塚植物園グループのあゆみ
創業から現在に至るまで、赤塚植物園グループの軌跡をご紹介します。
1960年頃~ 花と緑で人の心に潤いを
1980年代中頃~ 生命を育む水で健康と環境を改善
2010年頃~ 地域貢献、新しい時代へ
園芸界のパイオニアとして日本のガーデニングを変えた時代です。
1956年(昭和31年)
赤塚充良が第1回農業労務者制度で渡米
3年間アメリカの農業を学ぶ。
1961年(昭和36年)
創業、サツキの大量生産開始
1967年(昭和42年)
洋ランの生長点培養。研究室を建設して大量生産に入る
国内で初めてメリクロンによる苗の生産に成功。
1969年(昭和44年)
大阪万博会場に三重サツキを販売
1972年(昭和47年)
株式会社赤塚植物園を設立
ブラジルに有限会社ブラジル赤塚植物園を設立
郵便によるシンビジュームの宅配を開始
1973年(昭和48年)
当時として先進的な郊外型園芸売店を開店
1974年(昭和49年)
株式会社ハワイ赤塚植物園を設立
1975年(昭和50年)
米国より吊鉢用観葉植物を購入し、生産を開始
ボストンファーンやブライダルベールなど生産。大手企業の販促として提供するなどし、国内に園芸ブーム(観葉植物のブーム)のきっかけとなる。
1980年(昭和55年)
赤塚充良がブラジル・オザスコ市より名誉市民権を授与される
オザスコ市での公園づくりや日系社会の発展に貢献したことが評価。
1983年(昭和58年)
第22回農林水産祭園芸部門で天皇杯を受賞
1984年(昭和59年)
株式会社赤塚の前身である赤塚物産株式会社を設立
水の働きに着目し、研究を開始
FFCによる健康維持と環境改善の実証事例を積み重ねた時代です。
1985年(昭和60年)
パイロゲンの製造・販売を開始
1990年(平成2年)
コロンビアのカーネーション農場でFFC水の水浸けによる農地再生に成功
1991年(平成3年)
赤塚充良が黄綬褒章を受章
1992年(平成4年)
FFCの普及を行う会員組織「カトレア会」(現・フィランソ)を発足
1995年(平成7年)
株式会社エフエフシー・ジャパンを設立
1996年(平成8年)
アカツカFFCパビリオンが完成
1999年(平成11年)
FFCパイロゲン関工場が完成
FFCホールが完成
2001年(平成13年)
希少植物保存温室を備えたFFCユートピアファームが完成
FFCテクノロジー実践技術発表会「FFCワールド2001」を開催
横浜市と津市で開催。約4万名から7万点もの実験や出展物が集まり、FFCテクノロジーの再現性や汎用性の確認の場となる。
2002年(平成14年)
株式会社アカツカナーセリー・タイランドを設立
2004年(平成16年)
米国ハーバード大学とのFFCの共同研究を開始
2005年(平成17年)
愛知万博のバイオラングにオフィシャルパートナーとして参加
FFC研究発表大会「FFC国際フォーラム2005」を名古屋市で開催
2006年(平成18年)
「アンチエイジング国際シンポジウム&エキスポ東京2006」に公式協賛し第一回東京国際アンチエイジング大賞グランプリを受賞
2007年(平成19年)
「第27回日本医学会総会」に特別協賛
2009年(平成21年)
FFC研究発表大会「FFC国際フォーラム2009」を東京で開催
花と緑、水の事業を通じて地域の振興に取り組んでいます。
2011年(平成23年)
赤塚充良が会長に、赤塚耕一が社長に就任
2013年(平成25年)
「赤塚シャクナゲガーデン」の一般公開を開始
2014年(平成26年)
「鈴鹿の森庭園」の一般公開を開始
2016年(平成28年)
「高野尾花街道 朝津味」がオープン
地域の農業と観光の振興のため、赤塚植物園グループが地元農家や産官学と連携して協力。
「レッドヒルヒーサーの森」の一般公開を開始
2017年(平成29年)
福島県飯舘村に「までい館」誕生
福島県飯舘村とは東日本大震災直後から交流を深め復興支援を続け、10月に「いいたて村の道の駅 までい館」が誕生。
2018年(平成30年)
赤塚充良が旭日双光章を受章
2018年(平成30年)
赤塚耕一がIGCAの会長に就任
国際ガーデニング協会(IGCA)ではアジア人として初めての会長職。
11月9日が「赤塚FFCの日」に記念日認定
2019年(令和元年)
赤塚充良が三重大学より「名誉博士」称号を受ける
2021年(令和3年)
創業60周年を迎える
レッドヒルヒーサーの森に「藤のガーデン」オープン