創業者 赤塚充良

赤塚植物園は、三重県津市高野尾町の農家であった赤塚充良(あかつかみつお)が、ひさ子夫人と結婚したその日(1961年1月11日)に創業し、花と緑の事業、そして水(FFC)の事業に取り組んできました。このページでは赤塚充良についてご紹介します。(2023年8月 更新)

企業サイト 赤塚充良メッセージ

 

 

※赤塚充良は2023年8月2日、老衰のため永眠いたしました。

プロフィール

1933年(昭和8年)11月9日、三重県津市生まれ。

23歳のとき農業研修生として渡米し、農場での労働に3年間従事。

1961年、ひさ子と結婚し、同日に赤塚植物園を創業。

以後、三重県のサツキの産地化、洋ランの組織培養による生産、ブラジルやハワイでの農場設立、観葉植物の輸入と国内でのブーム化、農業後継者の育成など、新しい農業のあり方の提唱と実践に努める。

1984年、水に関する研究を開始し、動植物の機能を高める水の技術として「FFCテクノロジー」を開発。健康飲料「FFCパイロゲン」を販売し、全国に愛用者を拡大する一方、2005年の愛知万博では巨大緑化壁「バイオラング」に技術提供するなど実績を積み重ね、講演活動を行い技術の普及に注力する。

2011年、グループ3社の会長に就任後も農産物直売所「高野尾花街道 朝津味」設立への協力や、隣接する里山「レッドヒル ヒーサーの森」の開園など、80歳を超えてなお地元農業の活性化のため精力的に活動を続ける。

主な経歴

  • 20代・・・
    高野尾村青年団長、三重県国際農業者交流協会副会長

  • 30代・・・
    高野尾園芸組合設立 初代組合長、高野尾洋ラン組合 設立 初代組合長、高野尾農業協同組合理事、農事組合法人高野尾園芸センター 設立 初代理事長、豊里村農業委員会委員、三重県植木振興会 設立 初代会長、三重県洋ラン生産組合設立 初代組合長、三重県しゃくなげ生産組合 設立 初代組合長、三重県グリーンクラブ設立 初代会長、三重県花植木振興会副会長

  • 40代・・・
    三重県農業会議会議員、(財)三重県海外協会理事、新しい園芸を考える会 設立 副会長、三重県指導農業士、(社)日本植木協会理事、日本海外派遣経営者クラブ 初代会長、三重県植木需給協議会 設立 初代会長

  • 50代・・・
    三重県園芸協会会長、日本農林漁業振興協議会理事、日本園芸商協会理事

主な受賞歴等

  • 1980年(昭和55年・47歳)
    ブラジル・サンパウロ州オザスコ市より名誉市民権を授与される。

  • 1982年(昭和57年・49歳)
    三重県知事より植木功労者表彰を受賞。

  • 1983年(昭和58年・50歳)
    第42回中日農業賞で農林水産大臣賞を受賞。
    第22回農林水産祭園芸部門で天皇杯を受賞。

  • 1991年(平成3年・58歳)
    黄綬褒章を受章。

  • 2000年(平成12年・67歳)
    三重県第16回産業功労者表彰を受賞。

  • 2001年(平成13年・68歳)
    伊勢神宮より農事功労者として顕彰される。

  • 2003年(平成15年・70歳)
    国土交通省財団法人地域活性化センターより地域活性化貢献賞を受賞。

  • 2005年(平成17年・72歳)
    三重県県民功労者表彰を受賞。
    (社)園芸文化協会より園芸文化賞を受賞。
    津市より市政功労者として表彰。

  • 2006年(平成18年・73歳)
    ブラジルの平和団体(Instituto da Soverana ordem cultural da Paz Mundial)より皇帝ドンペードロ1世称号付きの記念品が授与される。

  • 2008年(平成19年・75歳)
    国土交通大臣よりタイ王国チェンマイ国際園芸博覧会の日本庭園への協力に対する感謝状が贈呈される。三重県植木需給協議会より功労記念碑が贈呈される。

  • 2018年(平成30年・85歳)
    旭日双光章を受章。

  • 2019年(令和元年・86歳)
    国立大学法人三重大学より名誉博士の称号を受ける。

主な取り組み

  • 青年時代・・・
    農家の長男として様々な作物を模索する一方、地元の青年団の団長として新しい時代の取り組みを次々と実行する。
  • アメリカ労働経験・・・
    23歳のとき、第1回カリフォルニア農業研修生としてアメリカへ渡り、他の日本人とともに広大な農園で3年間労働に従事する。
  • サツキの産地化・・・
    帰国後、自らが中心となって地元にサツキ栽培を根付かせ、三重県を日本一のサツキ産地化に成功する。(1960年代・30代)
  • 洋ランの生長点培養・・・
    バイオ技術(生長点培養)による洋ランの苗の大量生産に国内で初めて成功する。(1960年代後半・30代)
  • 海外農場の設立と経営・・・
    海外5ヵ所で農場を設立し経営する(1972年~・40歳頃、ブラジル・ハワイ・コロンビア・カリフォルニア・コスタリカ)。
  • 園芸ブームの牽引・・・
    海外から様々な観葉植物を導入し、日本に園芸ブームが起きるきっかけをつくる。(1970年代~・40代)
  • FFCテクノロジーの開発と普及・・・
    1984年より水の機能性に着目し、研究を開始。FFCテクノロジーとして開発して以後、普及に努める。(50代~)
  • 愛知万博への協力・・・
    2005年の愛知万博(愛・地球博)では、メイン広場正面の巨大緑化壁「バイオラング」のオフィシャルパートナーとして赤塚植物園が協力し、FFC元始活水器を提供。(60代)
  • 津市の海上アクセスへの協力・・・
    中部国際空港(セントレア)開港に伴い、津市からの海上アクセスに協力し、高速船「カトレア」を寄贈。(60代)
  • 観光ガーデンを通じた地域振興・・・
    ひさ子夫人とともに育んだ里山「レッドヒルヒーサーの森」や「鈴鹿の森庭園(梅園)」、「シャクナゲガーデン」などをオープンさせ、園芸・農業と観光を融合させた地元活性化に取り組む(2013年~・80代)。
  • 地元の農業振興への協力・・・
    地元、津市高野尾町の農業の活性化を目指し、農家と協力して「高野尾花街道 朝津味」の設立を実現(2016年・80代)。

著書のご紹介

『不可能を可能にする人生論』
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『人と地球よ、蘇れ!』
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『幸せの種という贈り物』
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『夢が咲く言葉』
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