心に咲く花 19回 ハイビスカス

花きよき 列島まもり 逝きたりと
嘆けば炎(も)ゆる 緋(ひ)の仏桑花― 安永蕗子

【現代訳】
花々が清らかに咲くこのすばらしい国を護って亡くなったのだと戦没者を嘆き偲べば、赤々と燃え立つようにハイビスカスが咲いている。

心に咲く花 2019年19回 ハイビスカス(仏桑花・ぶっそうげ)


1963(昭和38)年、沖縄摩文仁(まぶに)の丘に熊本県戦没者慰霊碑が建立された際、熊本出身の女流歌人のこの掲出歌が刻まれました。

第二回角川短歌賞を受賞した安永蕗子は、2012(平成24)年に92歳で亡くなるまで、熊本で歩み生きた歌人です。
晩年には宮中歌会始の召人(めしうど)も務めています。

あざやかな緋色の花を咲かせるハイビスカス。突き出した花柱の先の繊細な麗しさには独特の味わいがあります。

マレーシアの国花であり、ハワイやアフリカ等、世界中の熱帯・温帯地域に見られる花です。
日本では何といっても沖縄でしょう。
「アカバナー」と呼ばれ、親しまれるハイビスカス。
亡くなったかたがたの冥福を祈り、「後生花(ぐそうばな)」として墓地に植える地域もあるそうです。

「仏桑華 くれなゐふかく 咲き垂るる 朱里玉城の 池をめぐれり」と詠んだのは昭和天皇の和歌の指南役でもあった岡野弘彦です。
「仏桑花 柄長の花の ゆれゆれて 夏の一日は 夕さりにけり」と詠んだのは近代歌人の岡麓(おか もと)です。

今から400年以上前に、薩摩藩主島津家久が徳川家康に献じたものが本土への渡来の最初だと語られています。

掲出歌の石碑が建てられた摩文仁は第二次世界大戦の沖縄戦で日本軍最後の司令部が置かれた地。
多大な犠牲者が出て、「土深く 死者の血沁むと 思ほえば 踏みゆきがたき 摩文仁野のみち」(屋部公子)という和歌も詠まれました。

通常、草花は「萌える」という言葉を用いますが、この歌で作者はあえて「炎える」と表現しています。
赤色を意味する「緋色(ひいろ)には「火色」も懸けられ、「炎(も)える」と縁語になっています。
こうした和歌の修辞法の知識はなくても、大地を彩り、死者の魂も慰めるハイビスカスの緋色を思えば、作者の思いは伝わることでしょう。
真夏のハイビスカスを思いつつ、あらためて戦没者を悼み、平和を希求し続けたいと思います。


田中章義(たなか あきよし)さん

歌人・作家。静岡市生まれ。大学在学中に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。2001年、国連WAFUNIF親善大使に就任。國學院大學「和歌講座」講師、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授も務める。『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)の他、歌集『天地(あめつち)のたから』(角川学芸出版)、『野口英世の母シカ』(白水社)など著書多数。

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