FFCが支える美しい村の「復興」と「未来」

福島県飯舘村 × 赤塚グループ
FFCが支える美しい村の「復興」と「未来」

東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故から6年余。赤塚グループは震災直後から、交流のあった福島県飯舘村の復興支援を続けてきました。飯舘村ではこの春、一部の地域を除いて避難指示が解除され、ようやく復興への歩みが始まっています。そして今回、復興拠点として道の駅がオープンしました。
これを機に、飯舘村の「再生」への取り組みと課題、そのために赤塚グループとFFCは何ができるのかを、菅野典雄村長のお話を交えて考えてみたいと思います。

[飯舘村・菅野 典雄 村長に聞く]
大きな危機から何を学び、次世代に何を伝えるか。
復興は始まったばかりです。

放射能汚染、全村避難という類を見ない難局に立たされた飯舘村。絶望のなかに希望を見出して陣頭指揮をとり続ける菅野典雄村長に赤塚耕一社長がいまの想いを聞いた。

対談は「いいたて村の道の駅までい館」にある木彫りの彫刻ベンチで行われた。彫刻家・重岡建治さんによる、心の絆がモチーフのあたたかい作品だ。

― 福島市内から車で約60分。阿武隈山系北部の高原部に位置する飯舘村は豊かな自然に恵まれ、冷涼な気候のもとで農業や畜産が盛んな美しい村だ。
しかし2011年3月11日に発生した東日本大震災によって穏やかな村の状況は一変。揺れや津波などの被害はほかの地域に比べて大きくはなかったが、震災に伴って発生した福島第一原発事故によって、目に見えない・放射能・という脅威にさらされてしまったのだ。村は放射性物質に汚染され、全域が計画的非難区域の指定を受けたため、住民は全村避難を余儀なくされてしまった。

菅野「飯舘村では6年前に約1700だった世帯数が、現在、約2000世帯になっています」

赤塚「人口は変わっていないのですよね。それなのに世帯数だけが増えていますね」

菅野「はい。これは全村避難によってバラバラに離散せざるを得ない家族がそれだけ多かったということなんです」

― そして、美しい村から村民がいなくなって6年。2017年3月31日に、一部区域を除いて避難指示が解除された。

赤塚「実際のところ、帰村の状況はどんな感じなのですか」

菅野「残念ながら、避難指示が解除になったから『すぐ帰村』とはいかない。放射能の不安は簡単には拭い去れません。とくに若い人たちはなかなか戻ってこれないというのが現状です」

俯(うつむ)くだけでは進めない。
だから顔を上げて前を向く

― 避難指示の解除から約4カ月後の2017年8月1日現在で帰村した村民は全体の約7%。村はいまだ放射能汚染の不安という重い影のなかにあるのが現実だ。

菅野「でも、だからこそ、家族の絆や人と人との心のつながり、故郷への想いをなくすことなく、少しずつ、一歩ずつ、復興に向かうために、いま何ができるかを考えることが大切なんです」

― ものごとにはすべてプラス面とマイナス面がある。だから、マイナスに俯いて下を向くだけではなく、そこからどんな「プラス」を見出すか、そこにどんな希望があるかを考え、顔を上げて前を向く。これが菅野村長の持論だ。

赤塚「菅野村長のそうしたバイタリティが村の再生・復興の大きな原動力なのですね」

菅野「そうかもしれません。赤塚さんとのご縁も、そのプラスのひとつだと私は思っています」

― 赤塚グループと飯舘村の縁は、菅野村長がある会合で知人を介して赤塚グループの森定常務取締役を紹介されたことをキッカケに生まれた。二人は意気投合。村長は津市の赤塚本社を訪ね、FFCテクノロジーに出会ってその可能性を見出し、森定常務をはじめ赤塚グループのスタッフも足繁く飯舘村に通って村の人々と交流を重ね、信頼関係を築いてきた。

までい館の温室にて。“花の力”を信じる者同士、話が弾む。

赤塚グループと飯舘村を結ぶ、
“花を愛し、花の力を信じる心”の共有

菅野「放射能に平穏な暮らしを奪われる悪夢のような出来事に、どうやって立ち向かうのか。もちろん経済面や産業面の復興は必須ですが、それには何よりもまず『人々の心の共有』があってこそ。そしてそのために欠かせないのが『美しい花』だと思うんです」

赤塚「美しい花を見て笑顔にならない人はいないですからね」

菅野「そのとおりです。それに放射能による風評被害でいままでのような野菜では産業として難しい。そこで花を村の新しい産業にできないかと考えたんです」

飯舘村交流センター「ふれ愛館」の入り口に建っている石碑の前には タイタンビカスが咲いている。

そこに美しい花があれば
人の心はきっとつながる

― 復興支援の協力を申し出た企業が数多くあるなか、村長は赤塚グループを“信頼できるパートナー”に選んだ。それは村民レベルから地道に築かれた信頼関係、そして「花を愛する」共通の想いがあったからなのだ。

菅野「村で花づくりを始めようという企業の方の研修を赤塚さんの農場で受け入れていただきました。森定常務をはじめ赤塚グループさんの協力は復興の大きな力になっています。その協力がなければこのような道の駅のオープンも難しかったでしょう。このご縁に感謝しています」

赤塚「赤塚グループでは今後もさまざまな形で可能なかぎり支援させていただくつもりです。例えば、新たに作出したタイタンビカスを『飯舘村オリジナル品種』として村で栽培し、村から日本中に発信する。そのタイタンビカスを復興のシンボルとして、2020年開催の東京オリンピック会場の植栽に活用してもらいたいですね。こうした取り組みをはじめ、これからも“花を愛し、自然を愛する企業”だからできる支援をさせていただきたいと考えています」

菅野「赤塚さんは美しいシャクナゲでも知られていますが、実はそのシャクナゲは福島県の県花でもあるんですよ」

赤塚「これもまた何かの縁ですね。タイタンビカスやシャクナゲなどの美しい花、そしてそれらの花を強く健やかに育てるFFCテクノロジーを通じて、飯舘村復興のお役に立てたら嬉しく思います」

― 故郷の村がかつての美しい姿を取り戻し、人々が故郷での安らぎの日常を取り戻す。現状では、それは決して容易なことではない。だが、

菅野「この大きな危機をどう乗り切るか。そこから何を学ぶか。そして次の世代に何を残し、何を伝えていくか。この村の復興はこれからがスタートなんです」

― 花を愛し、花を育て、花に安らぐ。花は実を結び、大地に種を落とし、そこから新芽が芽吹き、育ち、また花が咲く。たとえ険しい道でも、その傍らに咲き続ける美しい花が人々の心をつなぎ、歩みに力を与えてくれる。花咲くその道がいつか再び穏やかな安らぎの郷にたどり着くことを信じたい。

飯舘村交流センター「ふれ愛館」の入り口に建っている石碑の前にはタイタンビカスが咲いている。

までい館に隣接して建てられた温室。ここで栽培した花木はまでい館の売店などで販売される。

温室に設置されたFFC元始活水器と、土に使用される土壌改質材FFCエース。FFCテクノロジーによって花は健やかに育てられる。

 

[村民の心の共有の場]
復興への願いを込めて、いいたて村の道の駅までい館」が盛大にオープン!

“までい”の理念が宿る
復興と心の交流の拠点

2017年8月12日、福島第一原発事故による全村避難指示の大半が解除された福島県の飯舘村に『いいたて村の道の駅までい館』がオープンした。

この施設は村と赤塚グループ、地元企業が出資する『株式会社までいガーデンビレッジいいたて』が運営している。「村に帰る村民が安心して生活するためにできる、あらゆることをしよう」という事業目的のひとつとして『までい館』が誕生した。

県道12号沿いに建設された『までい館』は敷地が約1万5600平方メートル。福島県内における31番目の道の駅となった『までい館』は、福島第一原発事故による避難区域に設定された市町村では初めて新設された道の駅でもある。また、国土交通省が地方創生のために重点的に支援する“重点道の駅”にも選ばれている。

までい― あまり耳慣れない言葉かもしれない。これは「大切に」「ていねいに」「ゆっくりと」「じっくりと」「心を込めて」「手間暇を惜しまず」といった意味で使われる福島県北部地方の方言だ。

飯舘村では以前から『までいライフ=手間暇を惜しまない暮らし』を提唱。大量生産・大量消費という現代生活を見直し、豊かな自然と人とのつながりの重視を基本理念にした村づくりを進めてきた。

までいの心で、までいの暮らしで村を再生したい。自分たちの故郷を復興したい?飯舘村にオープンした新しい道の駅の名前には、福島第一原発事故で放射能汚染という未曽有の被害にさらされ、危機的状況に立たされてなお消えることのない、村民を想う気持ちが込められている。

までい館で使用するすべての水は、FFC元始活水器によってFFC処理が施されている。防寒のため、活水器には保温材がまかれている。

帰村する住民の暮らしを
支える拠点としても

オープン前日の8月11日には、復興副大臣や福島県知事(代理)、地元選出の議員、地元関係者の方々を招いて竣工式典が行われた。

「看板には道の駅『いいたて村の道の駅までい館』と書かれています。ここは単なる道の駅ではなく、“いいたて村の”道の駅です。そこにあるのは、地元の人々の憩いの場、交流の場でもありたいという想いです」

と語る菅野典雄村長。そこには、「『までい館』はいまだ故郷を離れ、家族とも離れ離れになりながらの避難生活を送る村の人々が“帰還”した際の、暮らしと心の拠りどころになるべき場所なのだ」という強い想いがうかがえた。

特産品やお土産の販売所に加えて、生活必需品全般を購入できるコンビニ『セブンイレブン』を併設したのも、帰村した住民の生活を考慮してのことだ。

 

翌12日。あいにくの小雨模様を吹き飛ばすように盛大なオープニングセレモニーが行われた。

午前10時。「力を合わせて復興へ向かいましょう」という村長の言葉を合図に記念のくす玉が割れる。

オープンを待ちわびていた村民や観光客には紅白餅やトウモロコシなどが配られ、人々は大きな拍手と歓声で飯舘村の新しい“復興拠点”の誕生を喜んだ。

オープン初日、来場者は7,500人を超える賑わいとなった。

たくさんの花々が吊り下げられた「までいホール」で、花を見上げながら談笑する人。家族と写真を撮る人。特産品やお土産、花などを購入したり、軽食コーナーでランチしたりする人。村と交流のある北海道倶知安町の方々が用意した雪の滑り台や雪だるまに喜び、縁日コーナーで遊ぶ子どもたち。そして離れ離れになった家族や友人と再会を喜び合う人たち。

笑顔があふれる光景に感慨深げなのは、村と地道な交流を重ね、村とともに復興活動に尽力してきた赤塚グループの森定淳常務。

「これまでは『村に帰ったら何ができるか』『あれができたらいい』『これがあったらいい』と考えるだけ。村に戻れない以上、実際には何もできなかった。だから『までい館』のオープンは、本当の意味で村の復興の第一歩。赤塚グループやFFCにどんな支援ができるかもこれからが重要なんです」

盛大な拍手のなか、来場した村民らと共にくす玉割りのセレモニーが行われた。

北海道倶知安町の羊蹄太鼓保存会による『ふれ太鼓』のパフォーマンスがオープニングセレモニーを盛り上げた。

『までい館』オープンには各地から大勢のフィランソ会員のみなさまが駆けつけた

今後は周辺にFFCを最大限に導入した花の栽培施設を整備して地元住民の雇用の場としても活用する、同じエリア内に復興住宅団地を建設するといった計画も進行している。『までい館』は“帰ってくる人”の受け入れ拠点として重要な役割を担っているのだ。

『までい館』の施設内外には村民の笑顔を写した特大パネルが期間限定で飾られている。弾けるような笑顔、柔和な笑顔、少し恥ずかし気な笑顔― いくつもの笑顔が、再びこの村にあふれる日に向けて“までい”な取り組みは続いていく。

もちろん、復興は一日にしてならず。だからこそ村の未来を見据えて、少しずつ、じっくりと、手間暇を惜しまず、でも着実に、できることから一歩ずつ―

厳しい現実に立ち向かうときにこそ“までいの心”が大きな力になるのだから。

オープニングセレモニーには飯舘村公式キャラクター「イイタネちゃん」も登場。

までい館前の駐車場には彫刻家・重岡建治さんが「までい」の心と村再生への願いを込めて制作したブロンズ像が設置され、12日には除幕式も行われた。

「までいホール」で提供される豚丼やカレーは塩分控えめで無添加。村民の健康を気遣う“までい”の心が込められている。

物販・情報スペースには、フィランソ会員であり写真家の堀口マモルさんの撮影した村民の笑顔の写真が飾られ、村と縁のある地域の物産品なども販売。

隣接の温室で栽培されるタイタンビカスも人気。

飯舘村の特産品や村で栽培した花が購入できる直売ホールは行列ができる大盛況。

駐車場の横にはシャクナゲの小道。赤塚オリジナルシャクナゲも植栽されている。


いいたて村の道の駅 までい館

〒960-1802 福島県相馬郡飯舘村深谷前12-1
Tel:0244-42-1080
ホームページ http://www.vill.iitate.fukushima.jp/site/kanko/1404.html

営業時間:
までい館 10:00~18:00(水曜定休)
コンビニ 6:00~20:00(年中無休)
公衆トイレ 24時間

駐車場:大型7台、小型49台


赤塚グループによる東日本大震災の被災地支援の取り組み

未曾有の被害をもたらした東日本大震災と福島第一原発事故。赤塚グループとフィランソ(当時はFFC普及会)では飯舘村のほかにも、震災直後から被災地の復興と被災された方への支援を行っている。義援金の寄付に加え、パイロゲンやFFCスーパーソープの寄贈など、FFC技術が支援に活かされてきた。あれから6年。それでも被災地の復興はいまだ道半ばなのが現実だ。命を育む水、命の土台となる土、心を癒す花。これらを生み、育て、届け、守っていくために自分たちが、FFCができることは何だろうか。常にそう問いかけながら、これからも赤塚グループとフィランソは力を合わせて、「心の絆」を紡ぐように支援活動に努めていく。

震災義援金の寄付

全国のフィランソ会員や従業員、グループ関係者の皆様から寄せられた義援金は約1250万円。日本赤十字社を通じて幅広く被災地支援に役立っています。

被災地応援パイロゲン

全国の会員の皆様からご注文を受け、被災地に1300ケース以上のパイロゲンを配送。現地のリーダー会員様を中心に被災された方々に届けられました。

FFCスーパーソープの寄贈

避難所の衛生管理のための支援物資として「FFCスーパーソープ」6000本を宮城県災害対策本部に寄贈しました。

仙台事業所開設

仙台市内にエフエフシー・ジャパンの事務所を開設し、被災された事業者様へのFFC導入に関する優遇制度を実施しました。

宮城県災害対策本部にFFCスーパーソープを寄贈する赤塚充良会長(2011年4月)

仙台を訪問し、リーダー会員様の会合で被災状況を確認する赤塚会長(2011年4月)


2017年10月発刊『BOSCO 20号』掲載 特集
撮影/野呂英成 取材・文/柳沢敬法