むざむざと
おのれを滅却することなかれ
ふゆ霜ひかり
花ひらく八手(やつで) ― 坪野哲久『百火』より
【現代訳】
むざむざと自分自身を蔑(さげす)まなくていい。自分自身を無くさなくていい。冬霜が降りるようなとても寒い時期。そんな季節にも、ほら、「ヤツデ」の花が咲いているから
心に咲く花 2025年94回 ヤツデ
「鬼のうちわ」とも呼ばれるヤツデは、11月から12月にかけて、花が少なくなる晩秋から冬にかけて咲く植物です。厄除けとして家に植えられることも多く、葉を門口に下げて魔除けとする地域もあります。
本州の太平洋側、四国、九州、沖縄などに分布するヤツデ。日本の固有種で海岸付近の丘陵などに自生しています。日に2時間ほどの日照時間でも育ち、江戸時代後期以降は観賞用の庭木としても植栽されました。
19世紀半ばに、シーボルトによってヨーロッパに渡ってからは、分厚く個性的な風貌の葉などが珍しがられ、現在では欧米各国に普及しています。
北原白秋(きたはらはくしゅう)、窪田空穂(くぼたうつぼ)、島木赤彦(しまきあかひこ)、佐藤佐太郎(さとうさたろう)など多くの歌人に詠まれ、種田山頭火(たねださんとうか)や芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)も俳句を詠んだヤツデ。
掲出歌の作者 坪野哲久(つぼのてっきゅう)は1906年石川県に生まれ、1988年に亡くなった歌人です。プロレタリア歌人として知られ、小林多喜二(こばやしたきじ)が書いた『蟹工船』を刊行した出版社で働いていました。検閲が厳しくなる中、最初の歌集が発禁処分を受けています。
それでも、のちに読売文学賞を受賞するなど、表現者として生涯歩み続けた人でした。
冬。多くの植物が葉を落とし、大地に咲く花が少なくなる時期に光を浴びて、花を咲かせるヤツデ。寒さにも負けず、花を咲かせる生命力や気骨が苦難を乗り越えた作者の琴線に触れたのでしょう。
誰が何と言おうと自分らしさを自ら手放さなくていい、と語った作者。治安維持法の時代に何度検挙されても信念を曲げなかった作者と、寒さの中、まるで孤軍奮闘するかのように花を開くヤツデには、どこか共通項があるのかもしれません。
葉にサポニンを含み、去痰など薬効があると語られるヤツデ。花が終わると花茎が倒れ、その脇から新たな芽が出て成長していきます。この新芽が新たな主軸となるのです。そんな命のバトンリレーを見せてくれるヤツデ。辛苦を乗り越えた先にある【希望】を感じさせる植物です。
田中章義(たなか あきよし)さん
歌人・作家。静岡市生まれ。大学在学中に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。2001年、国連WAFUNIF親善大使に就任。國學院大學「和歌講座」講師、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授も務める。『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)の他、歌集『天地(あめつち)のたから』(角川学芸出版)、『野口英世の母シカ』(白水社)など著書多数。
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